正解のない、おしゃれの葛藤
どんなにビビビときたアイテムでも、
日常の育児で出番がないからと泣く泣く返品する日がある
でも逆に、
「着る未来くらい、自分でつくるわ」って、
まだ予定もないのにワクワクしながら買っちゃう日もある
悩み散らかしていた時間が嘘みたいに、
高額なものでも“推しの一言”で秒速即決することもあるし、
数日悩んで、結局あきらめることもある
汚れるかも、着る場面ないかも
——それでも、おしゃれしたい気持ちは、やっぱり消えない
おしゃれするぞと意気込んでも
——頭のどこかでは、いつも子どものことが離れない
私たちはいつも、
おしゃれと育児の“あいだ”で揺れている
迷うって、それだけでちゃんと“向き合ってる”ってこと
どっちが正解かなんて、たぶん一生わからない
着るか着ないか、買うか買わないか、使えるか使えないか——
だけど私たちは、ちゃんと毎回悩んでる
ハゲ散らかすほど
なんならもう悩みすぎて具合が悪くなるほどに真剣に悩み
「どうしようかな」って考える時間は、
ほんとは、すごく愛がある時間なんだと思う
着る場面をシミュレーションして
汚れたときの自分まで想像して
家計のことまで頭をよぎって——
それでもまだ「やっぱり着たい」と思える服に出会えたなら
その服は、きっと自分を支えてくれると思う
考えること=がんばること、じゃない
洗い物をやっておいたら、明日の私が喜ぶ
作り置きを頑張った日、数日後の私が感謝する
——あの感じ
ちなみに私、「戦略的に」ってよく言ってるんだけど、
ぜんっぜん意識高い感じじゃなくて、
ただの“未来の白目の自分を救う小ネタ”くらいのノリで言ってるだけなんだけどね
「戦略的に」って聞くと、なんだか構えてしまうけど
このくらいの気持ちでいいと思う
気合いが入らない朝でも、クローゼットを開けたとき
“これさえ着ればなんとかなる”セットが用意されてたら、少しだけ立て直せる
たとえば、毛玉ひとつないスウェット
ノーアイロンで着られるオーバーシャツ
ヘアが死んでても被るだけでなんとかなっちゃうキャップ
どれも派手じゃないけど、地味〜に効く
「ごきげんになる努力」はいらないけど
“ごきげんになれる装備”だけは持っておく
そんな“自分だけのごきげんアイテム”を、先に仕込んでおく
未来の私が、「はいはいこれね」って言いながら助かるように
それがたぶん、戦略ってやつの正体で
がんばるためじゃなくて
がんばらなくて済むように、選んでおくこと
“余白”も、おしゃれのうち
子育ても、家事も、仕事も——
ぜんぶちゃんとなんて、無理ゲーすぎる
オールお惣菜の夜があってもいいし
髪の毛を洗うのを明日にまわす日があってもいい
そのぶん、着るものくらいは“好き”でいたい
お気に入りの服を着て、ちょっとだけ気分を立て直す
それって、立派な戦略だと思う
考えるのは、好きなものを長く楽しむため
戦略は、自分をちょっと楽にするため
がんばりすぎないために、ちゃんと選ぶ
全部を完璧にこなさなくていい
「どこで力を抜くか」を、あらかじめ決めておくだけでいい
そうやって、自分に優しい仕組みをつくっていく
それが、今の私たちにとっての“おしゃれ”かもしれない

おしゃれと育児の“あいだ”で揺れる皆さまへ
ここまで読んで
「で、けっきょく何が言いたいん?」ってなってたら——
それ、たぶん正解です(真顔)
だって私自身が「え、私もよくわからんけど…でも考えていたい」
って気持ちで書いてるから
おしゃれって、
買うか迷って返品して
また違うのポチって
でもやっぱり返品して——
このゴールのないひとり人生ゲーム、まじ修行
たまに「これ絶対いらんやろ」って自分でツッコミながら
日頃のストレスで勢いで買って、(その時の記憶ほぼゼロ)
なのに後日「意外にこれめっちゃ使えるやん……」ってなる
ハイパーレアケースも出現する。
でも、そんなもんだよね私たちって。
もう少しラクしてもいい
もうちょっとわがままになってもいい
そのかわり、ちょっとだけ“考えてみる”
——その“ちょっと”が、たぶん未来の私を助けてくれる
(はず!たぶん!きっと!)
「もう振り回されるのは嫌や…」と思いながらも、
禿げるほど悩むアイテムに出会ったとき、
心のどこかで「これこれ〜」と
ちょっと楽しんでる自分も——
なんだかんだ、いる。
物欲があるのは、元気な証拠です